岡田茂吉の論説文「自然農法の原理」

自然農法の原理

この原理を説くに当たって徹底的に分からせるためには、どうしても既成科学の頭脳では無理であるから、私が神示によって知り得た唯心科学をもって説くつもりである。

したがって最初は相当難解であるかも知れないが、熟読(じゅくどく)玩味(がんみ)するに従い、必ず理解されるはずである。もしそうでないとしたら、それは科学迷信に囚われているからで、これに気づけばいいのである。そうして私の説くところ絶対真理であるのはなによりも事実が示している。〈中略〉

そもそもこの問題の根本は土に対する認識不足からである。というのは今日までの農法は肝腎な土を軽視し、補助的である肥料を重視したところに原因がある。考えてもみるがいい、いかなる植物でも土を離れて何の意味がある。これについての好い例は、終戦後アメリカの駐屯兵が水栽培を行い注目を引いたことはまだ記憶に新たであろうが、これも最初は相当の成績を上げたようだが、最近聞くところによれば漸次退化し、ついに廃めてしまったという話である。これと同じように今日までの農業者は土を蔑視し、肥料をもって作物の食料とさえ思ったほどであるから、驚くべき錯誤であった。その結果土壌は酸性化し、土本来の活力の衰えたことは、昨年の大凶作がよく物語っている。それに気づかない農民は、長い間多額の肥料代や労力を空費し、凶作の原因を作っていたのであるから、その愚及ぶべからずである。

ではこれから土の本質に向かって神霊科学のメスを入れてみるが、その前に知っておかねばならないことは土本来の意義である。そもそも太初造物主が人間を造るや、人間を養うに足るだけの食物を生産すべく造られたものが土であるから、それに種子を播けば芽を出し、茎、葉、花、実というように漸次発育して、めでたく稔りの秋を迎えることになるのである。してみればこの米を生産する土こそ実にすばらしい技術者であり、大いに優遇すべきが本当ではなかろうか。勿論これが自然力であるから、この研究こそ科学の課題でなくてはならないはずである。ところが科学はとんでもない見当違いをした。それが自然力よりも人為力に頼りすぎた誤りである。

ではこの自然力とは何であるかというと、これこそ日、月、土、すなわち火素、水素、土素の融合によって発生したXすなわち自然力である。そうしてこの地球の中心は、人も知るごとく火の塊であって、これが地熱の発生原である。この地熱の精が地殻を透して成層圏までの空間を充填しており、この精にも霊と体の二面があって体の方は科学でいう窒素であり、霊の方は未発見である。それとともに、太陽から放射される精が火素で、これにも霊と体があり、体は光と熱であり、霊は未発見である。また月から放射される精は水素で、体はあらゆる水であり、霊は未発見である。というようにこの三者の未発見である霊が抱合一体となって生まれたものがXである。これによって一切万有は生成化育されるのであって、このXこそ無にして有であり、万物の生命力の根源でもある。したがって農作物の生育といえどもこの力によるのであるから、この力こそ無限の肥料である。故にこれを認めて土を愛し、土を尊重してこそ、その性能は驚くほど強化されるので、これが真の農法であって、これ以外に農法はあり得ないのである。故にこの方法を実行することによって、問題は根本的に解決されるのである。

ここでいま一つの重要事がある。それは今日までの人間は理性、感情等の意志想念は動物のみに限られると思っていたことである。ところが意外にもこれが無機物にもあることを聞いたら唖然とするであろう。勿論土も作物も同様であるから、土を尊び土を愛することによって、土自体の性能は充分発揮される。それにはなによりも土を汚さず、より清浄にすることであって、これによって土は喜びの感情が湧き活発となるのはいうまでもない。ただ意志想念が動物と違う点は、動物は自由動的であるに反し、土や植物は非自由静的である。故に稲に対しても同様感謝の念をもって多収穫を念願すれば、心は通じお蔭は必ずあるものである。この理を知らないがため、見えざる掴めざるものは、すべて無と片づけているところに、科学の一大欠陥があったのである。

岡田茂吉 (昭和29年1月27日)